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アルブル通信・感動エッセイ 2018年

2018年4月号「許す力」

許す力
研修医2年目の春、私は小児科での1年間の初期研修を終えて、次の研修先である内科で研修していた。
 そのとき担当になった宮崎さんは、76歳になる女性で、白内障の手術のために入院してきた。肝硬変も合併していたので、入院中の内科的な管理のために、私が内科担当の主治医となったのである。
 主治医といっても、眼の手術での入院だから、内科医としての私の仕事は血液検査の結果に合わせて点滴内容を変更することくらいで、宮崎さんの病室を訪室するのは通常の簡単な診察以外はほとんど雑談であった。仕事が一段落した土曜日の午後などは、宮崎さんのベットサイドで2時間以上も話を聞いていることもあった。
 宮崎さんは19歳で稼ぎ、20歳で子供を産んだ。予定日より2か月早く生まれた子は、体重1500グラムの未熟児だった。子供を取り上げた医者からは「この子は助からないから、お葬式の準備をしておきなさい」と、今では考えられないようなひどいことを言われたらしいが、幸いにも子供は一命をとりとめた。その後順調に体重は増えていったが、半年以上経っても首が据わらない。1年近く経ってもお座りができない。夫と一緒に回った何カ所目の 病院で下された診断は、「重度の脳性まひで、一生寝たきりだろう」というものだった。それまで孫を目に入れても痛くないほどかわいがっていた夫の両親の態度が一変した。「うちの血筋にこんな子はひとりもいない」となじられ、子供の障害のすべてが宮崎さんのせいにされた。以後、義父母は孫の世話をいっさいしなくなった。夫も仕事が忙しいことを理由に、育児をすべて宮崎さんに任せっきりにした。彼女はたったひとりで、障害を持った我が子の世話をした。手助けしてくれる人は誰もおらず、家の中でも次第に孤立していった。
 ある日の深夜、宮崎さんは3歳になった我が子を背負って家の外に出た。突然泣き出した子を泣きやませろと義母に怒鳴られたからである。宮崎さんは真っ暗な夜道をあてもなく歩いた。とにかく家から遠く離れた誰もいないところへ行きたいという気持ちに突き動かされ、ひたすら歩き続けた。
 背中の子は泣き疲れて、いつのまにか寝息をたてていた。1時間以上歩いて、村のはずれを流れる川に架かる橋の上に出た。橋の欄干から下を覗く。どうどうと音をたてて流れる川の水。宮崎さんの心の中で、これまで彼女をかろうじて支えていた一本の糸が切れる音がした。川に飛び込もうと欄干に足を掛けたその瞬間、背中の我が子が突然泣き出した。その声に宮崎さんは、はっと我に返った。
 この子は、「生きたい。もっといきていたい、お母さん、私はここにいるよ」と主張している。この子のために生き抜かねば。そう思った宮崎さんは、帰るべき家の灯りを目指して、再び歩き出した。
 それからまた、ひとりで我が子を介護する日々が続いた。
 しかしその子も、15歳のときに肺炎で亡くなってしまう。
 我が子を亡くした悲しみの中、今度は義父母が相次いでともに寝たきりになり、宮崎さんはそれからまた10年近く介護に明け暮れることになる。
 そんな義父母が亡くなり、ようやく夫と2人だけの穏やかな日々が訪れたと思った矢先に、夫が脳溢血で倒れた。宮崎さんの、夫を介護する生活がさらに5年続いた。宮崎さんは、結婚してからほとんどすべての時間を家族の介護に費やしていた。
 ある日、自分の死期が近いことを悟った夫は、机の中にしまってある箱を持ってくるように、かすれた声で頼んだ。言われるままに宮崎さんは箱を捜しあて、夫のもとに持ってきた。
 夫は、その箱を開けるように宮崎さんに目で合図した。
 箱の中に入っていたのは、結婚する前に宮崎さんが夫に宛てた恋文だった。彼女自身書いたことすら忘れていた手紙を夫は大切に持っていた。夫はおそらく今まで何回と読んだであろうその手紙を慈しむようもう一度読んだ。眼から涙が溢れている。夫は声にならない声で宮崎さんに語りかけた。宮崎さんには、唇の動きで「すまなかった。ありがとう」と語っていることがわかった。
 そのまま夫は昏睡状態に陥り、二度と眼を開くことはなかった。二日後、夫は亡くなった。

 「宮崎さん、辛い人生だったんですね」
 私がそう言うと、宮崎さんは笑って答えた。
 「いいえ、私は夫が最後に言ってくれた言葉だけで、それまでのすべてのうらみや苦しみを許しました。人生って、そういうものなのよ。だから私は自分の人生を幸せだったと思えるの」
 その言葉に、私は深く感銘を受けた。
 人間は、人から感謝されると許す力が生まれるのだと。そして、どんな辛いことがあっても、人生の最後に笑うことができるのだと。私は、宮崎さんからじんせいの真理を学んだような気がした。
 宮崎さんが退院する日、私は宮崎さんから人生を学んだことへの感謝の気持ちを宮崎さんに伝えた。すると宮崎さんは私にこう言ってくれた。
 「今まであなたほど私の話を聞いてくれた医者はいなかったわ。あなたはいいお医者さんになるわね。私が保障するわ」
 私は、今まで仕事をしてきた上で苦しいときや、怠けたいという気持ちが少しでも湧いてきたときは、宮崎さんの言葉を思い出していた。そして、宮崎さんの人生を思い起こしてみた。
 「今現在の私の苦労は、宮崎さんの苦労の1万分の1くらいにしか過ぎない。宮崎さん、私は宮崎さんの言う、いい医者に成長したでしょうか」
 心の中の宮崎さんに、私は今日も問いかける。

君がここにいるということ 緒方 高司著
田中 選

2018年4月号「許す力」