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アルブル通信・感動エッセイ 2018年

2018年1月号「坊主頭に咲いた花」

人生には様々な転機がある。
「もしも、あの時、あの様な事がなければ、今とは全く違った人生を歩いていたかも知れない」と思える事が、振り返ってみれば、誰でも一度や二度はあったに違いない。
 私にとっての転機は、入社後1年半、深い考えもなく、衝動的に刈り取った坊主頭かもしれない。

 戦後の復興がようやく軌道に乗り始めた頃、私は大阪船場の長い歴史のある商社に入社した。社長は世襲制で、封建的因習は社内の隅々にも浸透していた。新入社員は大学卒であっても、作業服を着て2年間は倉庫での荷造り、発送等に従事するのが慣習であった。
 新調の背広に身を包み、颯爽と勤務するかつての同窓を目に面白いはずはなかった。
 真夏の日曜日、私は思い切って気分転換のため、坊主頭にする事にした。「本当に良いんだね」と強く駄目を押し、散髪屋の主人がバリカンを入れた。長い間慣れ親しんだ長髪が落ち、急に頭が涼しくなった。
 私の坊主頭は社内の格好の話題となった。
 最初に出会った女性は一瞬ポカンと私の頭を見て、必死に笑いを堪えてトイレにかけこんだ。先輩同僚は大声で笑った。そして様々な憶測が社内を駆け巡った。
 女性社員の間で、私が失恋したとの意見が大勢を占めた。続いての詮索はその相手は誰かという事になった。その結果、その相手はK子さんに違いないという事になった。
 噂というものは実に無責任なものである。不思議なもので女性たちの反応は急に変わってきた。振られた男へ母性愛が湧くのか、私に親切な態度を示すようになってきた。しかし、考えてみれば、私への母性愛は反対に振ったはずのK子への反発となって表れているはずである。深い意味もなく刈り落とした長髪の被害を最も受けているのはK子じゃないかと感じ、何はともあれ、早急に謝らねばと思った。
 数日後、私は阪急電車で帰路につく彼女に声をかけた。周囲の人々の目には坊主頭の不良青年が乙女を誘惑しているかのように映ったに違いない。彼女は一瞬驚いた表情はしたが、思っていたほどの動揺もなく、平素のにこやかな顔で応じてくれた。

 素直に謝る私に彼女は、
「私の方こそご迷惑をかけました。噂が事実じゃ無いことも一番分かっているのは私ですもの。どうか気になさらないで下さい」
 と言って、逆に質問した。
「どうして髪の毛を刈られたのですか。本当に誰かに失恋されたのですか」
 ようやく平静を取り戻した私は言った。
「いいえ、別に深い意味があっての事ではないのです。単調な生活と、古い社内の雰囲気に嫌気がして、何かの気分転換が欲しかったのです」
「それで変化がありましたの」
 彼女の逆質問に一瞬口ごもった私は、
「ありました。ありましたとも。事実あなたとこうして、思いもかけずにここで会っているじゃないですか」
 私の言葉に彼女は噴き出していた。
「ところで噂を打ち消す方法はありませんかねえ。このまま時が流れ、噂の消えるのを待つのはあなたに申し訳ない気がしますから」
 その問いに対して、彼女の口から出た言葉に私は耳を疑った。
「たった一つ、噂を消す方法がありますわ――、それは、私とあなたがお付き合いをはじめる事です。そうすればあなたが失恋された訳でもなく、私がお断りしなかった事になりますでしょう」
 と言って彼女は顔を赤らめた。
 私にとっては全く予想もしない言葉であった。田舎に生まれ育った私には、都会育ちの彼女は生活環境も価値観も異なる別世界の人と思っていた。
「なーるほど。それは良い考えだ。最善の方法ですね」
 大きく叫んで私は無意識にテーブルを叩いていた。周囲の客が一斉に我々を見て笑った。
 予想もしない私達の交際に社内でも一時は大きく騒がれた。しかし、私の頭髪が伸び揃った頃には、好意的に見る人が増えていった。
 会社を去った今、私は改めて思うのである。さりげない私の断髪が様々な憶測を呼び、それが原因で彼女と出会い結婚した。改めて、人の縁の不思議さを感じるのである。
 坊主頭になってから既に数十年の歳月が流れた。妻のK子も、すでに古希を過ぎ、白髪が目立つようになった。ただ変わらぬのは当時と同様、絶やさぬ笑顔と優しい物腰である。
 時に訪れる娘から、わがまま勝手な言葉を浴びながらも、嬉々として手土産を用意する好々婆と化していた。


坊主頭に咲いた花  長坂 隆雄 著
《アルブル》 金野 智 選

2018年1月号「坊主頭に咲いた花」